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 ::: 香港  1997年1月 :::
  利用航空機→ドラゴン航空(KA)   経路→青森〜香港啓徳空港    滞在先→忘れた

会社が取引している団体の旅行で、女性社員2名が参加できることになった。ツアーのメンバーは30人くらいで青森県内の企業の人たちだ。青森空港発着なのでとても楽だ。
ドラゴン航空。初めて聞く名前だ。少し不安になる。

香港はちょっとしたブームになっていた。この年の7月にイギリスから中国に返還されるため、その前に一度行っておきたいということなのだ。
私たちが着陸したのは啓徳空港である。次の年に開港する新しい空港が建設中だった。とても大きな空港だ。 市街地からだいぶ離れている。
香港といえば、高層ビルが立ち並ぶすぐ上を飛行機が飛ぶことで有名だ。香港に着陸する飛行機のパイロットは熟練した技術を持っている、と言われている。新しい空港でこのスリルは味わえないだろう。啓徳空港の時に香港に行くことができてラッキーだった。

香港ではお決まりの観光コースをまわり、自由時間では主に買い物に時間を費やした。
香港の商売人はうさんくさい。薬局に入り、目のくまが消えるクリームを探した。英語が通じないのでジェスチャーで説明したが、「OK! OK!」と言って瓶入りのクリームを出してきた。すごく積極的に商品をすすめる。その気迫に負けて2人とも買ってしまった。
あとで同僚に聞いてみた「あのクリーム、どう?効果出てる?」
「・・・さぁ・・・?」
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 ::: エジプト ・ カイロ&ルクソール&アブシンベル  1997年8月 :::
  利用航空機→エールフランス(AF)・エジプト航空(MS)
  経路→成田〜パリ〜カイロ空港・国内→カイロ〜アブシンベル〜ルクソール〜カイロ
  滞在先→Hiton HOTEL(カイロ)・isys HOTEL(ルクソール)

会社のお盆休みに便乗して有給を使った。友人がギリシャとエジプト、2週間の予定で旅行を計画していた。私は1週間しか休暇とれないので、ギリシャだけ、ということで話を進めていた。
ところがこの時期は混み合う時期で、航空券が取れないのだ。結局航空券の取れる日、2人の休みを考えたら、ギリシャは無理だった。仕方なくエジプトにした。あまり乗り気じゃなかった。

カイロのヒルトンホテルで友人と待ち合わせしていたので、カイロからタクシーに乗った。
行き先を「ヒルトンホテル」と告げたのに、ちがうホテルに連れて行かれた。ヒルトンにしてはずいぶんとみすぼらしいホテルだな、と思って中に入ったら、急にピンッ!と来た。
ホテルとタクシーの運転手はグルだったんだ!と。と同時にものすごい恐怖を感じた。
体が震えてきた。私は売りとばされてしまう!
そしてすぐ恐怖が怒りに変わった。気がついた時、私はタクシーの運転手にどなっていた。

「ヒルトンホテルと言ったのに、なぜこんなところに連れてくるの!あなたに行く先を行ったとき同意したよね。私が行きたいのはヒルトンホテル。こんなところじゃない!今すぐヒルトンまで走らせてちょうだい!今すぐ!友達が私を待っているんだから!」

日本語で書くとこんな感じだが、片言の英語なのでうまく通じたかどうかわからない。タクシーの運転手やホテルの従業員も少しびっくりしていたようだ。こんなにどなりちらす日本人もいるのか・・。
あとで聞いた話だが日本人が一番狙われやすいのだと。人を疑うことを知らないから。そういえばタクシーの運転手は最初に「日本人ですか?」と聞いていたよな。「中国人」とでも答えておけばよかったかしら。
同じタクシーに乗り込みヒルトンまで行く。「着きました。ヒルトンはここだよ」と言われてもまだ疑っている。ほんとうにヒルトンなの?と念を押す。まだ疑いをもっている私に困ったのか、タクシー運転所は道を歩いているおじさんに「ここはヒルトンホテルですよね?」と私を納得させようとしている。このおじさんもグルなんじゃないかと疑ってしまう。
本物のヒルトンホテルだった。
ロビーで待っていた友人の顔をみたら、今まで張っていた糸が切れたように泣いてしまった。
怖かったのと悔しいのと安心したのと同時に来てしまったのだ。

アブシンベルとルクソールに移動し、最後にギザのピラミッドを見るといった日程だ。
飛行機からアブシンベル宮殿が見えたとき、鳥肌がたった。突如あらわれるこの神秘的な建造物。崇拝したい気持ちになる。実際見てみると、とてつもなく大きい。
ルクソールでも遺跡巡りと王家の墓を観光した。エジプトも真夏。日中の気温は45℃にもなる。どこに行くにもミネラルウォーター持参だ。しかも1リットルボトル。飲んでも飲んでも喉がかわく。汗がでてもすぐに乾燥してしまう。これだもの脱水症状になりやすいのだ。 ずっと遺跡ばかり見ていたら、遺跡を見ても感動しなくなってきた。同じようにしか見えなくなってくる。慣れというのは恐ろしいものだ。
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エジプトから帰国して3ヶ後、ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿で、イスラム過激派メンバーが観光客に対して銃撃を発砲した。62人死亡、19人負傷。そのうち日本人観光客が10人死亡、1人負傷。と報じられる。
いろんな国でそれぞれの考え方があったり、信じるものが違ったり、貧富の差があったりするけれど、人が人の命を奪うという結果に行きつくのはとても悲しい。心が痛くなる。

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 ::: 台湾  1998年2月 :::
  利用航空機→中華航空(CI)   経路→羽田〜台北   滞在先→忘れた

地元の新聞のツアーに参加した。
青森空港から羽田空港に移動し、シャトルバスで羽田空港の国際ターミナルに移動する。結局このツアー友達と2人だけの参加となった。台湾、人気ないのかなー。
中華航空機はつい先日、着陸する時に事故を起こしていた。そのせいか、台北上空で機体が高度落としていくと乗客の雰囲気がピリピリしてくるのを感じる。そして異常なほど静かだ。張り詰めた空気がこんなに痛く感じたことは初めてだ。みんな同じことを考えていたのだろう。
無事に着陸できればいい、と。
無事に着陸できたその瞬間、乗客から拍手がなった。よかった。私は無事に着陸できたことより、あの張り詰めた空気から開放されたことで、安堵した。

台湾の空港にツアーガイドの人が私たちを待っていた。60歳くらいの老夫婦だ。もっと若いかもしれない。服装が地味で化粧もしてないからそれくらいの年に見えたのかもしれない。、。
奥さんがガイドをして、旦那さんはドライバーなのだそうだ。ワゴン車でホテルまで案内してくれた。車に乗っている間、ガイドさんはいろいろと説明してくれた。台湾のお金の種類も説明してくれた。そのお金はA5サイズくらいの紙に手書きで書いたお金だ。その紙は、もうポロボロになっていた。物を大切にしている人なんだなーと思う。
この旅行で一番心に残っているのがガイドさんだ。ほとんど毎日彼女と一緒だった。彼女は元学校の先生だったそうだ。いつも同じ服装をしていて質素で、髪も後ろで結っただけの姿だったから、私たちは「お金に困っているんだろうか」と疑問に思ったものだ。でもガイドは給料がいいと聞いているし、まして日本語が喋れるというのはかなりのものだよね・・・。
当時私も友達も独身だったからガイドさんとよく結婚の話もした。「結婚できるんだろうか」なんて言うと、彼女は必ず「大丈夫よ、心配することはない。幸せになるから、大丈夫」と言ってくれた。

いつも一生懸命で優しくて、誠実で落ち着いていて知的で、そんな人柄のガイドさんとの別れがとても悲しく思えてきた。感謝の気持ちを込めて、日本の「お茶漬け」を彼女にプレゼントすることにした。台湾には日本のものがたくさん売っている。ガイドさんは「お茶漬け」のプレゼントをとても喜んでくれた。最後空港でお別れの挨拶をした時
「日本でもがんばってね。そして幸せになって。」と言ってくれた。熱いものがこみあげてきて、涙が出てきた。
私たちのためにやってくれたことに心を感じたし、贅沢をしないで地味に生活しているガイドさんに、昔の人の心を見たのかもしれない。
友達も私も今は結婚している。少なくとも私は今幸せであると思う。ガイドさんの言ったとおりに。

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