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 ::: ハワイ州オアフ島 1990年11月(社員旅行) :::
  利用航空機→コンチネンタル航空(CO)   経路→成田〜ホノルル空港    滞在先→忘れた(動物園の近く)

今まで社員旅行は1年に一度、近県で実施していた。ルスツ高原や函館、岩手県とか・・・。
それが今回から3年に一度海外に行くことに変更された。
社員旅行となると1チーム30人くらいの人数だ。添乗員もついているし、知ってる顔だらけで行動するので、 緊張感もなく気が楽だ。
その反面、海外の地を踏んでも周りから聞こえてくるのは、津軽弁という、なんともムードが出ないものだ。
ハワイまでの道のりは過酷なものだった。青森からバスで成田空港まで移動。それから飛行機で6時間というものだった。成田に着いた時にはもう乗り物には乗りたくないといった感じだ。
私は後発隊だったが、先発隊は雪のため、高速道路が通行止めになり、急遽新幹線に乗り換えての移動だった。でも新幹線のほうがよかったのでは・・・・?と思ったりする。

ハワイはマイアミに比べると、人も雰囲気も日本に近いものを感じる。
ゴルフ、レンタカーでドライブ、買い物、ビーチでのんびり、といった過ごし方をした。
個人旅行とは違い、大人数で楽しめるのもいいものだ。 マイアミでもそうだったけど、私は現地のスーパーマーケットに行くのが大好きだ。ブランド品店に行くよりもずっと面白いし、安くてかわいいものが手に入る。
といってもプランド物の化粧品は海外旅行みやげの定番だったから、化粧品はだけはしっかり購入したけれど。
あっという間の5日間、ハワイ近いし親近感があるし、また来ようと思いながら最後の夜眠りについた。次の日の朝5時だか6時までにバスに乗らなければいけないのに、すっかり寝過ごしてしまい添乗員の電話で起こされた。あわてて顔も洗わないままバスに乗り込み空港へ。
当時、飛行機内ではアルコールがサービスで何杯でも飲めた。悲しいかな私たち田舎者は「アルコールサービス」を「飲み放題」と勘違いしてしまい、飲まなきゃ損と何杯でもおかわりした。
自分の判断のもと物事をチョイスするということができないのか、特に団体行動のなると、隣の人と同じことをしてしまうものだ。機内にアルコールがなくなってしまったのも社内では有名な話。
成田から青森までのバスでは意識がないほど、泥酔と泥睡の状態だった。 waikiki

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 ::: フロリダ州マイアミビーチ 1991年9月 :::
  利用航空機→ノースウエスト航空(NW)   経路→成田〜ミネアポリス〜マイアミ
  滞在先→Adrian HOTEL(ocen drive)

1990年にマイアミに行ってからずっとマイアミ病が続いていて、何かにとり憑かれているようにマイアミに行きたくて仕方がなかったのだ。
今回のマイアミ行きには、といもいい流れでまわりの協力があった。
まず、永年勤続による特別休暇が今年度にあたっていた。
次に、同僚の一人がハワイでの社員旅行で知り合った人が、マイアミで旅行代理店をやっているという。何かあったらお役に立ちますよ、と名刺交換したのだという。
こんなことがあり、迷いもなくマイアミ行きを決意する。

マイアミ、特に南部のサウスビーチでは、英語がまったく通じない人がいる。スペイン語しか話せないキューバから来ている人たちだ。
祖国を逃れ危険を承知のうえでマイアミまでたどり着く。彼らはマイアミでも決して豊かな暮らしはしていないけれど、とても明るくて、そして親切だ。
マイアミ出身のシンガー、グロリア・エステファンの歌の中に、祖国キューバを思う歌がある。"キューバ・リブレ"というタイトル。英語版とスパニッシュ版で歌っている。
私の好きな歌のひとつである。

マイアミでは、同僚が紹介してくれた旅行代理店の人や、一人で旅行していた東京在住の日本人女性、旦那さまが学会でマイアミに来たのに同行して来た若い奥様など、いろんな人と知り合いになれた。
今回の旅行では、あちこち観光に足を運ぶというより、いろんな人と出会って話をする、ということが中心になった。
マイアミに来ると、すんなり人と仲良くなれるような気がする。それがリゾート地という開放的な空気から来るものなのか、あるいは自分の波長が土地に会っていてそうなるのか、それはわからないけれど・・・。ここで暮らしたい、そんな思いが抜けない。
oceandrive

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 ::: サイパン島 1992年12月 :::
  利用航空機→ノースウエスト航空(NW)    経路→成田〜サイパン
  滞在先→忘れた(ガラパンの近く コテージのようなところ)

年末年始休暇にからめてサイパンへ行くことした。
少しずつずうずうしくなってきて、長期の休暇をとるのも大胆になってくる。
でもやはり上司に休暇の申請をする時はすごく気を使う。自由な時間があればいいな、長期で滞在できるし、と思う。
でも仕事があるという安心した立場にあるからこそ、短気の滞在が充実できるのだ。日本に帰った時、自分の場所があるし、収入だってあるからこそ買い物だってできるのだから・・。
サイパンは成田から2時間。とても近い。

当時サイパンには信号がなかった。目抜き通りといえば、ガラパンにあるショッピンクセンターくらいだろうか。少し離れたところにショッピングモールがあったかもしれない。回想して書いているので記憶が定かではないが・・・。夜になると野生の犬が出てくるし、まさに未開の地といったところだ。
1日だけマニャガハ島に行ってきた。無人島だ。サイパンからボートで10分くらい。
これほどきれいな海を見たことがない。ほんとにきれいなグリーン色をしている。
シュノーケルをつけて潜ると、鮮やかな色をした熱帯魚が泳いでいる。砂をばらまくと、エサだと思って寄ってくる。魚たちは自分の体がこんなにきれいな色をしていることを知っているんだろうか・・・。
この海の世界に魅せられて、また潜った時に写真に残そうと、日本に帰ってきてから水中カメラを衝動買いしてしまった。今まで2回しか使っていない。

海の中には戦争で使われた船や大砲などが沈んでいる。そこから海草が生え、魚たちの住みかになっている。戦場のつめ跡を残す物と、きれいな海や魚のコントラストをどう受け入れていいのか困惑する。
この楽園のような場所が戦場となったのだ。兵士たちは、どんな思いでこの海を見ていたのだろうか。 私は、哀悼と感謝の気持ちでいっぱいになった。

毎日ビーチに出没していたので、かなり黒くなった。
友達が「夜、寝顔見たら笑ってたよ」と言われた。魚の夢でも見ていたんだろうか・・・・。






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