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  ::: 2004/1/3(土) Happy New Year! :::

ナッシュビルから帰ってきて次の日、またテレサの家に行く。なんとあわただしい。
テレサは家を売りに出していて、買い手が家を見に来たいということで、急遽掃除の手伝いをすることになったのだ。 掃除といっても子供たちのおもちゃとかガレージのごちゃごちゃしたのをきれいに整頓するだけで、掃除はハウスキーパーを雇ってやってもらっていた。
彼らはいつも話が大げさで、私はすごく心の準備をしているのに、実際はそんなにたいしたことじゃなかったりする。いつもこんな感じ。とにかく話が大きいのだ。
newyear
大晦日はテレサの友達とニューイヤーズイヴパーティーに行った。 すごく盛り上がった。久々にお酒を飲んでバカ騒ぎしてさっぱりした。
テレサが写真をとってくれていたので、彼女が全然写ってない。 テレサごめんなさい、気がつかなくて・・・・


1月2日はテレサファミリーとダーレーンとジャックダニエルの工場見学のツアーに行った。
一番古い工場がテネシーにあるそうだ。
jackdanniel-factory


  ::: 2004/1/14(水) クラークレンジ高校 :::

今日はクラークレンジ高校に1日行ってきた。小学校から車で10分くらい走ったところにある。 アメリカの高校生と聞くと何か怖いイメージがあったけれど、想像していたよりもずっと素直でスレた感じの子がいないのでびっくりした。
私の話もよく聞いてくれたし、話を聞く態度もきちんとしていた。
茶道を紹介した時、私がお茶をたてるから、5人誰かゲスト(客)になりたい人いる?と聞くと、なんと男子が積極的に手をあげるのだ。お茶を飲むときもきちんと正座していたし。
とにかく素直でめんこいのだ。日本の男子高校生だと「そんな女のすることなんかできるかいっ」みたいな感じだと思うけど・・・。
clark-highschool clark-highschool
みんなが一番興味をもったのは携帯電話だ。日本語表示がとても珍しいようだ。
1人の男子が「オレ電話にでる時の日本語しってるよ!ムシムシ、ムシムシ、て言うんだろ?」って自慢げに話していた。おかしくて爆笑してしまった。
それ「モシモシ、だよ」って訂正してあげたけど・・・・(笑)


  ::: 2004/1/18(日) 思うこと :::

テネシーの滞在もあと残すところ1週間となった。
ここでは時間も人もとてもゆったり過ぎていく感じがする。 地元の人たちはほんとに優しくていつどこで会っても笑顔で接してくれた。学校の子供たちは気取らず自然でとてもかわいかった。ビスケットとソーセージという南部地方の朝食やチリスープ、ピントー(豆のスープ)は私のお気に入りになった。
jamestown 朝6:30に家を出て、車の中でラジオから流れるカントリーミュージックを聞きながら朝日に照らされた農道みたいな道を学校に向かっていく景色は、なんて平和なんだろうと思う。
理由もなくすべてのものにありがとう、と言いたい気持ちでいっぱいになる。
そしてe-mailや手紙をくれて励ましてくれた友だちやねぶたの赤誠会の皆さん、ありがとう。とても元気づけられました。

あと1週間というときに、ホストファミリーのパソコンがウィルスにやられてしまったようで、インターネットが接続できなくなってしまった。
今テレサの家から更新している。アメリカからの更新はこれが最後になるかもしれない。

1月25日(日)テネシー州ナッシュビルからサンフランシスコに移動し、そこに数日滞在してから日本に帰る予定です。

  ::: 2004/1/20(火) 書道 :::

クリスマス休暇明けは書道をメインに紹介した。
ここの子供たちは漢字をビジュアルでとらえるので、おもしろい発見があり、私自身とても楽しかった。 漢字を横向きに書く子、習字のハネの部分をハートの形に書く子・・・。
いちばんの傑作は、「木」を3つ書くと「森」になるんだよと説明したのに、「火」を3つ書いた子がいたのだ。存在しない漢字だ。
「この字はないんだよ、やり直しする?」と聞くと「ボクはこれが気に入ったからこのままでいいよ」だって。 この漢字は存在しない、と指導してきたけれど・・・・。
それにしても初めて漢字を書くにしては、みんなとても上手なのでびっくりした。
shodou shodou

  ::: 2004/1/23(金) 学校最後の日 :::

今日はとうとう学校最後の日だ。
すべての授業が終わった後「全生徒はジムに集まってください」との放送がかかった。
ミュージックプムグラムでもあるのかと思っていたら、私の送別プレゼンテーションだったのだ。私には内緒に計画していたことだった。
はじめにホストティーチャーであるダーレーンが挨拶をした。
「3ヶ月前、日本から一人のビジターが来て、私たちに異国のいろんなことを紹介してくれました。彼女が来なかったら私たちは日本がどこにあるのかさえも、知らないでいたでしょう。私たちは本当に楽しい時間を過ごすことができました。
彼女に心から感謝しています。それではワン・ツー・スリーで感謝の言葉を言いましょう。 「ワーン・ツー・スリー」 次に全生徒がいっせいに

サンキュー ミスメイ!!!!!!!

もう拍手と歓声の嵐。
これにはカンゲキしてしまった。熱いものが胸の奥からこみあげてきたけれど、我慢して笑顔を作っていたが・・・・・
「それでは7学年のみんなからあなたにプレゼントがあります。」といって7学年の生徒が私のほうに歩いてきた。それは7年生一人一人名前入りパッチワークで作ったキルトだった。
7年生にはターシャという車椅子の女の子がいる。ターシャがそのキルトを持って彼女を囲むようにして7年生が私の方に歩いてくる、その姿をみたとたん、今まで泣くのを我慢していた張り詰めたものがプツンと切れたように、涙がとめどもなく出できてしまった。
あのシーンは今でも強烈に印象に残っている。たぶんこの感動は、私の人生の中でいちばんに値するかもしれない。
あとでダーレーンに聞いてみた。「このキルトはあなたが考えたの?」
「ちがうの、生徒たちが考えたんだよ。記念に残るものは何かってみんなで話し合ったらしいよ。」との答えだった。なんて素晴らしい子供たちなんだろう。このキルトは私の宝物だ。
lastday

  ::: 2004/1/25(日) さようならJamestown :::

今日はジェイムスタウンを離れる日であり、ダーレーンの誕生日でもある。
ただの偶然とは思えない。なにか私と彼女の人生にはこの出会いが必要であったかのような不思議な繋がりを感じる。 自分が決めた道なのに、何かに導かれているような不思議な感覚だ。
少し早めにナッシュビルの空港へ行き、ロニーとダーレンとランチをした。
セキュリティチェックのゲートの前に来て、ここでお別れだねといった時、それまでいつも明るく笑顔が絶えないダーレーンが
「娘が一人できたような気がするの。その娘が自分の家から離れていってしまうようだわ。いつまでも忘れないでね」と言って涙を流していた。
私は笑顔でお別れしようと決めていたのに、泣くという意思とは違うところで涙が溢れ出してきた。「私はずっとあなたの娘だよ。いろいろありがとう」と私も泣きながら返事をした。
ふだん気丈で明るい人なだけに、彼女の涙は心に滲みた。

さようなら、ジェイムスタウン・パインヘブン小学校、そしてロニー、ダーレーン、テレサファミリー。素晴らしい思い出をありがとう。




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